次から次へと

イケイケドンドン

という具合に、契約とって、また次また次へといくことがよしとされていて、アポ、アポと予定を埋めていくことが大事であるとしている。ここ数年は時間を余らせるようにしている。ずっと詰め込んでいたように思う。それでは長い活動が続かなくなっているような気がしているからで。後は、自分の手の長さで伸ばせる範囲しか伸ばさないようにしている。前のめりになっていくと物事はうまくいかないそんな気がしているのだ。

家も自己資金があったほうが本当はいいのかもしれない。ローンを組んで買うのが一般的だが、思い通りの家はやはり、思った以上にお金がかかるものだ。建てた後もお金がかかるわけだし。それは可能なことなんだろうか、経済を回すという事をまことしやかにいう事が多いが、その陰で消える工務店は多い。お金を回しきれなくて、倒産したり、夜逃げしたり、首をくくったりしている。人によってはイケイケでお金を回していける人もいるのかもしれない。運もあるのかもしれない。作り続けることを止めてはいけないと学生時代の教授たちは言っていた。コンペなどは勝利して実施できるのはたったの一人だ。建築家はかつてはパトロンを見つけて自分の作品を作っていた。個人の住宅を設計するのは建築家ではないと言ってる人もいるくらいだ。お金と人等多くの者が動く。マイホームは夢なのか、時折考えることがある。どちらが損得とかそんなことを迷えるのは実は幸福なのではないか。21世紀を越えて、IT化し、リモートで仕事ができるようになって、生活が多様化する中で、一生で一番大きな買い物と言われる買い物である住宅という考え方そのものも変わってゆくものだと思っていたが、今はまだ変わってきてはいない。

資金調達をすると言えば、聞こえはいいが、実際にその資金で何をするのか。いくらでも絵は描ける。実際に計画を実行するその力はまた別のところにある。建築は長丁場で、持久力がいる。それは、施主も設計者もかわらない。その独自性も相まってその内側は一般的な業種に比べればまた違うだろう。見積もり一つとっても、お店で物を買うのとも違う。野外で人が手作業でその土地で作業していく。いまだに、地面を穴を掘るところから始まる。機械が入らなければ人がスコップで穴を掘っているのだ。モノづくりとか、手作りなんてものではない。そんな言葉で片づけれない。未だに自然災害に巻き込まれたりもする現場もある。

昔は家を建てるのにその村総出で作っていたこともある。その村ごとに建築様式が違うこともあったそうだ。現在は半分は工業製品化している中でも、今日も職人さんたちが現地で釘を打っていたり塗料を狭い場所に塗っている。細かい手作業もそのうちロボットにとって代わると言われている。そうなったときに均質した家並になるのか。価格ももっと下がるのかはまだ見えない。